今回は奈良県吉野郡十津川村玉置川の玉置神社の紹介です。
熊野三社の奥の院とされ、玉置山の頂上近く鎮座しています。
境内には 永らく聖域として伐採が禁じられていたため、樹齢3000年と 言われる神代杉や、大杉などの巨樹が残っています。
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大峯奥駈道の修行場のひとつなので歩いていくルートはありますが、主に山伏が修行に使う道です。
車でのルートは、僕が走ったことがあるのは2本です。
どちらのルートも途中までは2本あるので、4ルートとも言えますが。
車で行ける道は多分これだけだと思います。
今回は168号線の南都銀行十津川支店の側から入りました。
これが多分一般的なルートだと思います。
ここから山道を10㎞位走ることになります。
(駐車場は30台近く止めれると思います)
ねむの木街道の途中から入り込むのが走り易かったように思っていたのですが、山上の駐車場にある管理棟の人に確認したら「狭い狭い、対向不能の道が延々と続く。行かない方がいい。」と言われました。
前回行ったのが10年位前なので、記憶がいい加減なようです。
(駐車場横の管理棟。うどんなどの軽食のほかわずかですが土産物なども置いていました)
管理棟そばの鳥居がスタートとなります。
鳥居をくぐらずに、鳥居右手を少し戻ったところに分かりにくいですが山に入っていけるところがあり、奥駆道から山頂経由でも行けるのですがあまり一般的ではありません。(山頂までの道は良いのですがそこからの下りがきつい)
しばらくこんな道を歩きます。
途中分かれ道が有り、右手が細い参道となります。
案内板があり、足の不自由な方は左へと表示有り。
表示に従って左側へ。
今までと同じように車が通れる道です。
途中何か所か、巨岩などをご神体とした参拝所が有りました。
結界なんでしょうか、道をまたいで綱が貼られています。
ここからは急な下りとなります。
最後は急な階段が続き降り切ったら本殿横手に出ます。
足の不自由な奥さんはそこに残し、僕だけ玉石社に向かいます。
玉石社は玉置神社の末社となっていますが、人によっては此処が一番重要な場所だと考え、まずここにお参りする人もいます。
(山伏の方たちにとっては此処が聖地で、本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。)
玉石社へは左の階段を昇っていきます。
急坂をガンガン上っていきます。
道は整備はされていますがとにかくきついです。
途中見かけた祠です。
ここが玉石社。
案内によれば、所要時間は5分から20分となっていました。
(所要時間の差が大きい!)
奥にある木の横の丸い石が玉石です。
以前来た時はもっと全体が見えていたと思ったのですが。
初代天皇である神武天皇が神武東征の折、戦勝祈願のためこの聖地を訪れ、この石の上に神宝を置いて勝利を祈ったとされています。
そう、奈良の飛鳥に初めて都が作られる以前からの、神代から伝わる聖地と言われています。
同社には社殿や祠の類は無く、地中から一部が露出している黒い丸石を御神体とする原始信仰の形態を残しています。
玉石社の側には3つの岩を祭る三石社が有ります。
お参りの後は、も一度下って妻と合流して本殿に。
本殿には 国常立尊(くにとこたちのみこと)、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が祭られています。
境内には多くの摂社・末社が有ります。
そしてこちらは、神仏混合の時のお寺の建物です。
写真右側、梵鐘が陰に隠れてしまっていますが重要文化財となっています。
境内には多くの杉の巨木がありますが、有名どころをアップします。
まずは樹齢3000年と言われている神代杉です。
続いて夫婦杉。
奈良県下では一番太いと言われる大杉です。
写真では太さが判りませんが、目通り周囲11m、高さ約50mあります。
最初に訪れた時は傍らまで行って木に手を触れられたのですが、その後ロープが張られて傍に近づけなくなっています。
これ以外にも多くの杉の巨木が有ります。
参拝後は参道を通って駐車場へ。
足が不自由なうちの奥さん曰く「こっちの道の方が絶対歩きやすい」
と言う訳で、参拝にはこの道をお勧めします。
但し玉石社がメインであれば山頂から降りていくルートが楽です。
(玉石社への上りが省けます。下りも結構足に来ますが)
どのルートを通るにしても歩きやすい靴で。
最後に、見かけた花の写真を2枚。
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