昨日紹介した東高津神社の南東約500mのところの公園の一角に有ります。
ここの公園も上下に段に分かれています。
写真のような滑り台が横に4つ並んでありました。
公園を一番下まで降りると横に神社への入り口があります。
う~ん、何か覚えていた景色と違うような。
参道右手に稲荷さんがいくつか並んでました。
右手前のはお稲荷さんで間違いないですが、左手奥も?
お稲荷さんにすればえらいメタボな。
こちらがお社です。
でもここに来たお目当ては、お社ではなくこちら。
当社社名の由来となった「産湯の井戸」です。
神代の時に味耜高彦根命が掘った清泉で日高清水とか日高真名井と言われていたそうです。
地元では、昔よりこの井戸の水を飲用や産湯につかってきました。
境内の一段低い所に有りますが、実は横の道路とは面一です。
以前来た時は、道路から直接中に入れたように思います。
(子供のころだからあまり確かではありません)
いやぁ、なつかしいなぁ。
階段を降り井戸の側へ。
がーん、井戸は蓋がされて手押しポンプに。
その上、この水は飲めませんとの注意書きが。
井戸の後ろの産湯をする場所も、僕が覚えていた景色とはだいぶ違うような。
ガッカリ度100です。
どうも付近にビルが立ち並んだせいか地下水の水面が下がってしまい、また水質も悪くなってしまったようです。
上町台地って、高台なのに地下水は豊富だったんだけどなぁ。
一番高いところ、尾根筋は上六と谷九の間の上汐町あたりなんだけど、そこでも2mも掘ればきれいな井戸水が湧いていたのに。
江戸時代でも、上町台地の水はおいしいと言われていて、それに対し今の難波(南と呼ばれる繁華街)の辺りは井戸を掘っても塩分濃度が高く飲めなく、庶民は川の水を飲んでいたそうな。(大阪歴史博物館の説明文要約)
神代の昔から続いていたと言われる井戸がダメになってしまったのは、まあ時代とはいえちょっと残念です。
井戸の上に掲げられていた説明文です。
うーん読めない。
誰か僕が判るように訳してください。