えーと、難波宮と言っても神社ではありません。
日本の都としては、奈良・京都そして東京が頭に浮かぶ人が多いと思いますが、実は短期間ですが大阪にも都が置かれていたことがあります。
日本書紀には、大阪に都が置かれたことが書かれてはいるのですが、それがどこにあったのか確認できたのは実は戦後のことです。
大正時代に、奈良時代のものとみられる瓦が発見はされていたのですがこの辺一帯は陸軍の基地があり調査できませんでした。
戦後発掘し宮殿の遺跡が確認されました。
跡地は現在埋め戻されて史跡公園として開放されています。
そこそこ広さがあります。
訪れてみましたが、率直に言って見るべきものが殆どありません。
遺跡は埋め戻されています。
一応、回廊が有った所は歩道にし、柱は丸いコンクリートで再現はしてはあるのですが・・・・・
もう少し史跡らしいやりようがあると思うのですが。
柱の再現も単に丸いコンクリートの短い柱ではなく、コンクリートでいいのでもう少し宮殿の柱っぽくしといて欲しかったです。
舗装もコンクリートブロックの舗装ではなく。
あっでも、宮殿跡は一応整備されていました。
上にも登れます。
跡地は近隣の人たちのいい憩いの場所になっています。
後ろの道路、水平なのは一般道路でトラックが走っている右下がりの道は阪神高速道路です。
遺跡保護のため、橋脚が建てることが出来ず一旦この区間だけ地上を走るように作られています。
ここだけじゃ物足りないので、史跡の資料も展示されている大阪歴史博物館に向かいます。
と言っても直ぐそば、道路を挟んで斜め向かいです。
博物館の前には5世紀頃(古墳時代)の倉庫が再現されています。
この辺りには都が出来る以前に多くの倉庫が建設されていたのが確認されています。
でも、博物館とNHK放送局を作るために多くの遺跡が破壊されてしまっています。
博物館の1階ロビーです。
床の一部がガラス張りとなっており、遺跡の一部が保存されているのを見ることが出来ます。
1階ロビーで、ボランティアによる難波宮跡のガイドツァーの受付をしていました。
確認はしなかったのですが、雰囲気的には毎日一定時間ごとに実施しているようです。
興味ある方は参加されてみるのもいいと思います。
博物館の最上階展示室では、付近の遺跡に関する資料が展示されていました。
地図左上の「拡大地図を表示」をクリックすると、大きな地図が表示され、口コミなども見れます。