阪神淡路大震災以後にも東日本大震災をはじめ人々に多くの被害を与える震災が発生し、近畿の人たちでさえその記憶が風化しつつある。
発生は1995年(平成7年)1月17日の未明であった。
当時俺はまだ定年前で働いていた。(当たり前か?)
大阪市内は交通は全滅で俺は歩いて事務所に行ったが、所長をはじめ誰も来てなかった。
俺の担当地区を見て回ったが、大阪市内でも傾いたりしているビルが散見された。
でも俺はその時、まだこの震災がどれだけ大きな被害を与えていたのか知らなかった
。
テレビのニュースなども状況の全体を把握できず、どこどこの高速の料金所が倒壊したため高速が現在不通なっているようです、てなことを流してた。
まともなニュースが流れだしたのは、当日も昼を過ぎてからだったと思う。
翌日、大阪市内は、神戸に向かう車線は渋滞と言うよりほぼ止まっていた。
救助の応援に駆け付ける他府県からの消防車が、1時間たっても200mぐらいしか進まない状況だった。
神戸市長田区辺りは特に被害が大きいことを俺が知ったのは、そのころだったと思う。
仕事は開店休業状態だったし、他からの応援要請もなかったので20日に休暇を取り神戸に向かった。
我が家の菩提寺は神戸市長田区にあり、親戚もそのあたりにかたまっている。
連絡もつかないため心配になり出かけたのだ。
たとえ俺の車1台とは言え救援活動の邪魔はしたくなかったので、六甲山の裏側今の新名神が通っているあたりの山道を通り、加古川の方から回り込んで行った。
特に混んでいるところもなく、一番付き合いが多い親戚の家まで行けた。
彼の家は浴室の破損など一部損傷ですんでいた。
聞けば、長田駅の辺りは1キロ四方以上が一面燃えておりまだくすぶっている。
お寺も多分だめだろう。救助活動も続いており近づけないとのことだった。
親戚関係も人的被害はないとのことで一安心し、来た道を引き上げた。
この地震は、淡路島北部を震源としマグニチュード7.3、最大震度7、死者約6500名であった。
大きな駅や高速道路もいたる所で倒壊しており、もしこれがもう数時間後の通勤時間帯であれば人的被害はもっと増えてしまっていただろう。
この震災は防災について、特に災害が起きた時の交通規制の在り方や停電をいつ復旧させるかなどについて、多くの教訓を与えた。
安全確認があんじょう出来ていないのに通電したため、多くの倒壊した家屋から出火したと言われている。
遅くなったが、今回紹介するのはこの地震の震源地,淡路島にあるこの地震でできた野島断層の保存館である。
近くに行くことがあれば、一度訪問して欲しい。
断層は模型ではなく、実際の断層をそのまま覆いを作って保存されている。
右斜め上に、地面が刃物でスッパと切られたようにずれているのが判る。
youtubeもやってる。こちらも覗いてみてくれ。
「じーのやってみたでぇ」(金曜日更新) ↓
https://www.youtube.com/channel/UCrOYKp-IQhrL48ulHxb85bg
「じーの観光スポット紹介」(火曜日更新)↓