昨日は脇道にそれてしまって、肝心の大仏の話まで進めなかった、すまん。
この写真、いつ撮ったのかとか、なぜこんなに画像があれてるのかとか分からない。
多分ガラケーの望遠で撮ったやつだろうと思う。
あれって、画像の一部を拡大して表示しているだけだからそうだとすると納得できる。
そしてこれが大仏さんの右にある(向かって左だ)、虚空蔵菩薩だ。
反対側、向かって右にあるのは如意輪観音であるが、写真はない。
そして、大仏の右後ろに穴が開いた柱がある。
この穴の大きさは大仏の鼻の孔と同じ大きさだ。
(と言われているが本当かどうかは知らない。そもそも大仏の鼻の穴は丸なのにこれは四角だ!)
よく子供が通り抜けている。
俺は30代までは通り抜けれた。
それ以降は?
挑戦していないからわからん。
自分では通り抜けれると信じているが、多分他の人は、俺を見た瞬間にそうは思わないだろう。
でこの大仏、どこでこの知識を得たのかはわからないが、内部は多くの木で組まれた構造体ががあり、取り払うと倒壊すると思っていた。
でもこれを書く前に念のため確認と思ってインターネットで調べると、見たすべてが中が空洞と書かれていた。
えっ!嘘だろう!
根拠はどうも鎌倉の大仏が中が空洞であり、同じ製法の奈良も空洞のはずだとか、大仏のメッキは水銀アマルガム法でされており、メッキ時に仏像を高温にする必要があるので中の木材はその前にすべて取り出されているということだった。
たしかに建設当時はそうだったろう。
出来て100余年の間に、ひび割れや傾いて倒壊しそうになったり、地震で頭部が落ちたとのことなので、その時点では心材は入っていなかったと思える。
しかし大仏は2回戦火にあっており、台座の一部と大仏のお尻のあたりを除いて元々の大仏は残っていないといわれている。
いろんな説があるが、現在の大仏の大部分は室町時代末期に鋳造された物で、頭部は2回目の戦火で焼け落ち、その後再建されるまでの100年余りは木造銅板張りの頭部が置かれていたが江戸中期に修復されたというのが有力だ。
で、室町時代に再建された時の鋳造技法がどんなものだったかちょっと調べてみたが判んなかった。
室町時代に奈良時代の鋳造方法をそのまま再現したとも思えない。
しかし、俺が読んだ江戸時代に、中の心材の内ち、朽ちていたものを取り換えたというのは仮の頭部のことで、再建された大仏はやはり中は空洞なのかもしれない。
俺的にはまだミステリーのままだ。
詳しく知っていたら是非教えてほしい。
と言うわけで、昨日恐れていた通り(その3)に続くことになってしまった。
明日は大仏殿の秘密だ。
多分明日で終わる。
(俺の予定は、往々にして単なる願望だ。本当のところは明日、書き終わってみないとわからない。)
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