南北朝時代、南朝の後醍醐天皇は吉野に向かう途中、ここにしばらく滞在してから吉野で朝廷を開きました。
のちに南朝は四條畷の戦いで完敗し楠木正行が戦死、吉野も攻撃を受け防ぎきれないと悟りここ賀名生に行宮を移しました。
後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇の皇居がここに置かれたそうです。
後村上天皇がこの地を南朝による統一を願って叶名生(かなう)と名付けたが、のちに賀名生に改められたそうです。
168号線を北に向かって吉野川を渡って7㎞ほどの短いトンネルをくぐって直ぐの所です。
左手にあります。
右手の山の斜面は、梅で有名な賀名生梅林です。
上の写真の左手に、賀名生の里民族歴史資料館があります。
展示品は多分地元の人の蔵から出てきた古い品などと甲冑、そしてビデをの上演といったところでした。
規模はあまり大きくはありません。
お手洗いと休憩場所が自由に使えます。
最初の写真に写っている建物は、団体向けの研修施設のようです。
資料館から50mほど進んだところが皇居跡となります。
地元の郷士、堀家の屋敷です。
室町時代の建物だそうで、南朝の多くの天皇の皇居として使われたそうです。
門の上の「皇居」の扁額は、倒幕の志士「天誅組」総裁の吉村寅太郎が書いたものです。
門をくぐると前庭の奥に母屋があります。
奥行が結構あって大きな建物です。
で中に入ると、いきなり入らっしゃいませと言われた。
どうもお食事処らしい。
そう言えば門の前に何か看板があったような。
読まなかったなぁ。
仕方がないので、料理の種類と値段を確認。
和食だろうと思っていたのだが見事に裏切られた。
イタリアンレストランだそうだ。
ランチコースが3000と3500円。
コース以外は単品でパスタとかピザが頼めるらしい。
折角なのでここで食べることに。
中は和洋折半と言った感じ。
これはこれで趣がある。
入った時は僕らだけだったが、すぐに予約客が2組入ってきた。
そこそこ流行っているみたい。
頼んだのはピザとパスタ。
僕が室内の写真を撮っている間に、奥さんさっさと食べようと子皿に取り分けようとしていた。
慌てて写真を撮る。
ピザはすでに一切れ奥さんとこへ。
パスタの皿が少し汚れているのは取り分けようとしかけたため。
出てきたときはちゃんとキレイに盛り付けされていました。
お勘定は2品で4000円余り。
結構いい値段です。
出しなに門の所の看板を確認。
定休日は月曜で、ディナーは完全予約制とのこと。
皇居跡の前の細い道を標識にしがい500mほど登っていくと、南朝軍の総司令官役ともいうべき北畠親房の墓があります。
小高く土が盛られた墳墓です。
傍に忠臣と書かれた碑がありました。
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